野呂 功 (昭和46年度卒業)
急な坂道を登ると赤い屋根の長い校舎、広いグラウンドを囲む桜の木、
三十数年前と変わらぬ景色が目に飛び込んでくる。
人も皆時代とともに変わってきたのに、不思議な程この丘のたたずまいは
想い出のままだ。
私たちが卒業当時の全校生徒数は今の三倍以上の210名ほど、
在学中に通学路が舗装され現体育館が落成した。
当時の運動会はおやじ達が大酒のみで宴会気分、玉子焼き、
バナナが高級で・・・。
ああそうそう、ライスカレーは肉の代わりにサバの缶詰めを入れた時代。
卒業生のみなさまへ、一度坂道を登って懐かしの母校に逢いにいらして下さい。
そこにはきっと忘れかけていた、“やすらぎ”が待っているはず。
○鰺ヶ沢のHPを開いたら赤小のHPがあったので感激して開きました。
平成5年の卒業生だと思います。
今では私が知っている方はかねさんだけかもしれません。
小4の時に西北五絵画展で特選をとり職員玄関の付近に飾られていました。
今でも飾ってあるでしょうか?
もし飾ってなければどこかに保管していてくれますか?
お返事いただけたら幸いです。(Sさん)
○私は、昭和60年度卒業生です。現在は川崎市在住の会社員です。
「かねさん!」と書かれてましたが、私の時代は、「かねマン」と、呼んでました。
とても懐かしいです。
また赤小のまわりには、本当に蛇が多くいて毎日のように見てました。
特にマムシが多かった気がします。
最近は本当に子供の数が少なく寂しい気がします。
昔は130人ぐらいの生徒がいたと思いますが、今はどのぐらいでしょうか?
これからも合併されずいつまでも赤小の伝統を守っていただきたいと思います。
(追記 今も陸上は鯵ヶ沢では強いのですか?
長い坂道で脚力をつけて、元気に育ってほしいと願ってます。)
○赤小での思い出は、今の糧となり、最高の思い出です。
各先生がたには、大変お世話になりました。
グランドには、桜の木がたくさんあり、あと1ヶ月で満開ですね。
これからも懐かしい赤小について、ホームページを見させていただきます。
誠に勝手ながら失礼いたします。
影ながら、赤小の発展と存続を心からお祈りいたします。
○2回目の便りです。私は赤石小学校を卒業してから、現在も実家のある舞戸に引越しましたが、私は赤石が大好きです。大学と初めの就職は、埼玉県だったのですが、よく通学路から見える姥袋の山や、赤石川、グランドや桜の木を思いだしたりして、よく夢にもでました。本当に心の故郷なんです。
去年の夏に帰ってきてからは、車も使えるようになったので、赤石に行くようになりました。
赤石小学校にも2・3度行きました。最近はとても夕日が綺麗なので、週に2〜3度は赤石バイパスや川沿いをドライブしています。職員玄関のどこかに、私が4年生の時に西北五美術展で特選をとった絵がまだ貼られているそうです。どうぞ見てください。
今度是非小学校の中に入りたいですがよろしいでしょうか?中には12年くらい入っていないので、友達と一緒に訪ねたいです。その時は、どうぞよろしくお願いいたします。(Sさん)